誰も迎えに来なかった時…彼は私にクリーチャーという名前の猫を送ってくれた。面白くて笑える
ある雨の日曜日の午後、私は駅のベンチでひとり、迎えを待っていました。携帯の電池は切れかけ、空はどんよりと曇り、気温もどこか人肌を恋しくさせる冷たさでした。約束の時間をとうに過ぎても、誰も現れませんでした。まるで、世界からぽつんと切り離されたような気分。少し泣きそうになりながらも、「まあ、こんな日もある」と自分に言い聞かせていた、その時です。
背後から、ふわっと何かが私の足に触れました。驚いて振り返ると、そこには見たことのない生き物が——いや、正確には猫なんですが、その風貌はどう見ても“普通の猫”ではなかったのです。
耳は片方折れていて、しっぽはくるくると渦を巻いている。毛並みはパンクロッカーのように立ち上がり、目つきはまるで「人間界を観察している宇宙のスパイ」。最初の印象は一言、「なにこれ?」。でも、次の瞬間、その“生き物”は私の膝にぴょんと飛び乗り、あろうことか私のコートのポケットに顔を突っ込み、お菓子を物色し始めました。
「あなた…誰?」とつぶやくと、まるで聞こえていたかのように振り向き、にゃあと鳴く。声は思いのほか高く、どこか演歌歌手のような哀愁も感じさせました。
その日以来、その猫は私の家に“居候”することになりました。
最初の数日は「仮の名前」として「クリーチャー(Creature)」と呼んでいたのですが、日に日にその名前がぴったりすぎて、正式な呼び名になってしまいました。なぜなら、彼の行動は常に常識の斜め上を行くからです。
たとえば、朝起きると、私のまくら元にきれいに整列したソックスが左右色違いで置かれている。「えっ?」と思ってリビングに行くと、洗濯カゴの中は空。どうやら夜中に一匹で“選んで”運んできてくれているらしいのです。
トイレの使い方にもこだわりがあります。普通の猫砂ではなく、どういうわけか浴室の排水口にジャストフィットするスタイルを選びました。最初は頭を抱えましたが、いまでは「これがクリーチャーの流儀か」と笑って受け入れています。
そして何より面白いのが、テレビを一緒に観るときの反応です。バラエティ番組では完全無視なのに、ホラー映画の怖いシーンになると、急に画面に向かって「フーーッ!」と威嚇。しかも、画面に出てくる幽霊やゾンビには容赦ない。まるで「私の人間を怖がらせるな」と言わんばかり。そんなに感情豊かな猫がいるなんて、誰が想像するでしょう?
でも、そんな不思議なクリーチャーが私の家に来てからというもの、毎日がまるでちょっとしたコメディドラマのようになりました。笑いあり、驚きあり、時には心がじんわりあたたまるような瞬間も。
迎えに来てくれなかったあの日、私はたしかに少し傷ついていました。でもその代わりに、宇宙のどこかから派遣されたかのような、この面白くて、少し風変わりで、でも愛すべき猫と出会ったのです。
たぶん、神様は私が落ち込まないように、少しユーモアを効かせた贈り物を用意してくれたのでしょう。その名もクリーチャー——猫の姿をした、私の毎日の笑いの源。
だから私は今でも思うのです。あの日、誰も迎えに来なかったことが、私の人生で一番おかしくて、幸せな「間違い」だったんだって。
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