美しくて遊び心のある三毛猫
春の風が、カーテンをふわりと持ち上げたある朝。
私はまだ夢と現実のあいだをふらふらと漂っていた。
そんな私を現実に引き戻したのは、小さな“いたずら”の気配だった。
目を開けると、そこにいたのは——ミルク。
我が家の三毛猫の女の子。
白い毛に、やさしい茶色と黒の模様がまるで絵画のように混ざり合っている。
けれど、その美しさとは裏腹に、ミルクはとんでもなく遊び好き。
いや、「遊び好き」というより、「遊びの天才」と言ったほうが近いかもしれない朝の目覚ましは、しっぽのタッチ
ミルクは私の髪をそっとなでるように、自分のしっぽを使う。
わざと、顔のすぐそばでふわっと揺らしてくる。
「起きて、起きて」とでも言いたげな、ちょっとした小悪魔っぷり。
そのしっぽはふんわり柔らかくて、まるで羽毛のよう。
眠い目をこすりながらも、つい笑ってしまう。
朝ごはんを用意していると、ミルクは冷蔵庫の上からじーっと見ている。
そして、鰹節の袋を見つけた瞬間、「ニャッ!」と一声。
その声の高さやタイミングも、まるで音楽の一部みたいで、
私はキッチンで一人、ふふっと笑ってしまう。
遊び心は、日常のすみずみに
ミルクの遊び心はとにかく自由。
洗濯物をたたんでいると、タオルの山にダイブ。
パソコンで作業していると、キーボードの上に横たわる。
まるで、「いま、この瞬間こそが遊びどきよ」とでも言っているみたい。
お気に入りのおもちゃは、小さなフェルトのネズミ。
だけど、たまにティッシュの箱や紙袋の方が楽しいらしく、
中に潜り込んでは、目だけをひょっこり出してくる。
そのときの目が、まるでいたずらっ子そのもので、
私はまたしてもカメラを向けてしまう。
美しさって、静けさじゃなくて“生きていること”かもしれない
三毛猫のミルクを見ていると、思うことがある。
その美しさは、もちろん見た目の配色や優雅な歩き方にもあるけれど、
何よりも「毎日を全力で楽しむ姿」そのものが、美しいのだと。
ミルクのしなやかな身体は、まるでダンサーのように軽やか。
でも時には、派手にジャンプして失敗して、ずるんと滑ったりもする。
そんな“完璧じゃなさ”が、心を打つのだ。
遊ぶときは全力、眠るときはお腹を出してぐっすり。
感情をまっすぐに表現するその姿が、
私たちに「ちゃんと楽しんでる?」と問いかけてくるように思えてならない。
三毛猫と暮らすこと、それは物語の中で生きること
ミルクと暮らしてもうすぐ2年。
家の中には、彼女の足あとがたくさん残っている。
壁の角にこすれた毛、日向ぼっこの跡のぬくもり、
そして、ふいに鳴る鈴の音。
美しくて、遊び心いっぱいの三毛猫は、
毎日、私に小さな物語をくれる。
今日もきっと、カーテンの陰から飛び出してくるだろう。
私が何かに夢中になっているその瞬間を見計らって。
そして、私にとっての大切な「今」に、そっと笑いとやさしさを加えてくれる。
人生って、少しばかり三毛猫みたいでいい。
予想外の動きと、彩り豊かな模様。
そして、ときどきのいたずら。
それこそが、生きるってことなのかもしれない。
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